nator999のブログ

今を生きる青年

先輩からの応援

前略

会合の無い中で、同志とも接する事が出来ない中で、信心をやり続けるのは大変ですね。

「会合多いなぁ」って思っている自分の悩みが、なかまっちゃん(私)からすると、贅沢な悩みなのかも知れませんね。

後悔が無いかと言われれば、う〜ん、難しいですね。もっと時が経たないとわからないのかも知れません。

人生って振り返ってみて分かる事の方が多いのかもと思います。

私も毎日毎日忙しく過ごしてます。 去年なんて1年間が一瞬の出来事のようでした。

激闘の中にいると、日々に追われて辛く感じる事が多すぎますが、今、去年1年間を振り返ると、やり切って良かったなと思います。

なかまっちゃん、人生って、何を以って、土台を築くかで決まると思います。

土台がしっかりしてれば何があっても大丈夫。

その土台が、軟弱な物か、強固な物か。

応援してます‼️ 海外に出て挑戦する人生、私にはそんな勇気すらありませんよ! それだけでも尊敬します! 来世は、海外で活躍するぞ!と決めてます!

がんばれ、なかまっちゃん! 途中で休んでもいいじゃないか‼️ 休み休みでも一歩でも半歩でも前に進めー‼️

尊敬するなかまっちゃんに、私の好きなチャップリンの言葉を特別にお教えします!

私はいつでも、なかまっちゃんの味方です!

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ チャーリー・チャップリン 「世界の三大喜劇王」のひとり、チャーリー・チャップリンの名言だ。  孤児院で育った不遇のときも、決して未来への希望を捨てなかったチャーリー。この言葉の背景には、勝ち気な性格が自らの人生を切り開いていったという体験があった。なんともチャーリーらしい言葉ではないか。    人はだれしも、何か良くないことが起きると感情が先立ち、そのことは悲劇的な出来事と決めつける。  しかし本当にそうだろうか。 「あのことがあったおかげで…」ということをよく耳にする。  悲劇と思ったことが実は、その後の人生を好転させるためには必要不可欠な出来事だったということは往々にしてある。  大切なのは、起こった出来事をどう次につなげていくか、ということ。    今この瞬間に起こったことは、次の瞬間にはすでに過去のことになる。  そうやって物事は過ぎ去るのだし、命の時間も減っていくのだ。    この世に生まれ落ちるとき、われわれは神さまから片道切符だけを手渡されてきた。  ずっと見守っているから、その切符を握りしめて旅を楽しんでおいでと。    思わぬハプニングもあるだろう。  行き止まりの道も、旅をやめたくなることもあるに違いない。  しかし、人生という旅を締めくくるとき、道中を共にする仲間との出会いや行く先々で出会った人たち、町の風景は自分にとってかけがいえのない宝になっているはず。  さあ、おもいきり旅を楽しもうではないか。

年が明けて

前回から5ヶ月が経ちました。 いろんなことがありました。

  • デートしていたJonathanとは上手くいかなかった
  • 金が底を尽きたのでラーメン屋でバイトを始めて食いつないだ
  • ESLを修了してWebMobileApp開発のクラスが始まった。英語が不安でしかない
  • 10月まではRonと遊ぶ機会が多かった
  • 課題をやりながらバイトしながら過ごす日々
  • ルームメイトたちがコカインやってることが判明。危険を感じる
  • ルームメイト3人が退出
  • 10月末、家から30メートル先に住むRandyと出会った
  • 彼の友だちに会いにバンクーバー島、キャッシュクリークに行く
  • その帰りに高速道路が閉鎖。バイトに始めて遅刻するがボスは優しく対応
  • Randy宅にほぼ住むことになる
  • 10月までは着任していたものの、それ以降学会から遠のく
  • NYの親友とは相変わらず頻繁に話す
  • はじめての電話面接は上手くいかず
  • バイトにやり甲斐を感じれなくなる
  • 信心の大先輩、百合子さんに相談しに行く
  • クリスマスはすき焼きをしたり映画見て二人で過ごす。ちょっと寂しい
  • 気づいたら大晦日、仕事4連発の最中で新年を迎える
  • 完全に疲弊。体調もしばらく不調
  • 肘、肩、手首、指、朝起きると激痛で死んでる。リウマチめ
  • バイトでネガティブな側面を見るようになる。賃金と疲弊度とのバランス、やりたいことの出来なさ、人々

こんな感じで気づいたら数ヶ月経ってました。とっても良くない。 2018年の目標の振り返りはしなかった。19年の目標やテーマも作ってない。メディテーションする時間と心の余裕がない。バイトもそのうちやめると思う。週4はしんどい。

今の人生の景色は、間違いなく今までよりずっと暗い。新年の挨拶もめんどくさい。

この1月はなんとしてもここから抜け出して変革の1月にしたい。そのために、

  • ジムを再開する
  • バイトを辞めて新しいバイト先を探す
  • きちんと直近と2019年の目標を立てる

やるぞ!

BurnabyからVancouverへの引越し

1ヶ月のホームステイを終え、月4万円くらいのところに引っ越した。

 

多分Craiglistに掲載の部屋の中でトップレベルの安さだと思う。部屋は26歳のスウェーデン人の男の子マークスとシェア。家は8人でシェアで、私の階は地下。マークスは、今のところそこまで変わった人格ではなさそうなので、恵まれている方ではないかと思う。

 

 

越してきてまず思ったのは、共用キッチン、バスルームがめちゃめちゃ汚いこと。

 

いきなり別の友達の家に滞在することが多かったので、放置せざるを得なかったんだけど、駅前で劇落ちくん(Magic Eraser)を買って、見るに耐えない浴槽を掃除した。

 

簡単に落ちるのになぜここまで放置できたんだよ、、と周囲にも漏らしてしまった。さすがにさすがに。便器もChaosだったのでフキフキ。唯一の女性サマンサに、これは無理、耐えられないから掃除したって言ったら、私も耐えられない、って。えーーー!!あなたさぁ、、と内心思った。よく耐えましたね、と讃えたい。

 

スウェーデン人マークスの事案。早朝に女性を連れ込むという快挙を達成したので、チャットでその事に言及。もうしないとの事。

朝起きて隣のベッドを見たら、足が4本布団から出ていて、え?どういう事なの?ってなった。事を理解するのに10秒くらい時が停止したわ。ストプガ。

 

サマンサに聞くと、以前この部屋に住んでいた3人の怠惰が相当なものだったらしく、そのため苦情を出して追い出す事になったとのこと。ルールに掃除を当番でやること、のような趣旨で明記してあるので、道理にかなっている。サマンサに10グッジョブしといた。

 

イングランド人の白人が同じ階にいるんだけど、彼も雑な感じがプンプンする。社会人っぽいし、リーダーシップ発揮してもバチは当たらないのでやってほしいけど難しそうなので、明日サマンサと緊急会議を行い当番を決める予定。カイゼンにつぐカイゼンにつぐカイゼン。そして唯一の日本人の私がリーダーやります。世界の縮図がここにある。

 

ちなみにグッジョブというのはこちら

社内コミュニケーションツール『Goodjob!(グッジョブ)』 | デジタルマーケティングテクノロジーのEVERRISE(エバーライズ)

以上また報告します。

バンクーバーに来て1ヶ月

浮き足立ってる感がすごかった。地に足が着いてなかったなとすごく思う。

 

・持ってくるはずの荷物もまだ一部しかない

・服だけではなく技術本も新・人間革命もそっちに入ってる

・というのも住むところが1ヶ月で変わるから

SGIの組織にもつけない

・バイト先を見つけるより家を見つけるのが先決だから生活の目処が立ってない

 

元々分かってたけど、根無し草のようだった。昨日、カナダに来て初めて会合の着任ができて、やっと息を吹き返した感じがする。

 

多分、キリスト教系の人たちが駅前でにこやかな笑顔で機関紙のラックの横で立ってる活動がこっちでもよく見られるから、その人たちも自分も同じことを感じて、感謝するんじゃないかなと思う。

 

会館では、中野兄弟会の方で、30年以上カナダに住んでるという壮年の方とお話ができて、バンクーバーSGIの歴史と現状について少し教えてもらった。2,3年前から中野兄弟会のメンバーに大百や新聞を届けていただいているという。中野の人たちすごい。

 

何を食べて生きたら経済的に安定して健康で居られるのか、バイトをどのくらいやったら勉強と活動とを両立できるのかくらいが分かれば、よし、とりあえず生きてけるわねってなると思うので、食材の値段に精通することと、レジュメを書くことからかな。

 

書くこと思いつかないので、とりあえずこの辺でおしまい。ではでは。

引っ越してから気づいたこと

かれこれ練馬に来て一ヶ月になる。

 

引っ越す前は、ちゃんと先生の指導を読んで、勤行をしていれば大丈夫だと思ってた。あくまで師匠と自分の関係さえキープできていれば生き生きとしていられると思ってた。

 

だけど、それは勘違いだった。

自分が他人のために明かりを灯す当事者でい続けなければ、動いて動いて苦労しなければ、先生の心と合致するわけもなく、自分の狭いレンズを通してでしかものを見れない。

 

地に足をつけて生活したい...

セブ島留学を前に

今僕は、頭で描いた人生の構図を、現実に書き起こす作業に着手しようとしている。
その事始めとして、セブ島への2週間の語学留学に行く。その電車の車中で日記を書いている。

実のところ、踏み出そうとする一歩とは裏腹、不安と恐怖で胸がいっぱいだ。今まで生きてきて、国外で2週間もの期間を過ごすのは初めての経験だからだ。
新しい国に人、新しい寝床に机、そこで自分に挑戦し、弱さを叩き出す戦いをしようとしている。

これまでの28年間、自分が踏み出してきた一歩は、どれほど勇気を要したものだったのだろうか?

振り返れば生まれ故郷の南魚沼市を離れ、大学がある八王子市、そしてここ市川市の地に身を移した。全てが自分にとって故郷となった。
そして今年、カナダのブリティッシュ・コロンビア州を自分の第4の故郷と定めようとしている。否、心は既に故郷と定めている。

今までとは異なる次元の、飛躍の一歩を踏み出すにあたり、自分を突き動かしたのはなんだったのだろうか?

それは、「師匠の存在」が因するところを大きく占めている。

市川市に引っ越してきてからの5年と10ヶ月は、数えきれない同志に縁し、慈愛の叱咤激励を受け、また支えられながら、価値を創造してくることができた。

幸福とは何か?
苦難に直面したとき、どうすれば乗り越えられるのか?
人との関わりの中で、大切なことは何か?

いずれも一言で片付けられるような命題ではない。だが、それらの外郭を触り当てることはできた。
その道標を与えてくれたのが、師匠の存在である。

師匠は僕に、

「偉大な後継よ、どんな苦難が訪れても、自らの生命の中に、尽きることのない無限の希望を見出し続けよ」

と言われた。
また、

「偉大なる広宣流布の理想に燃え、自分が実を摘み取るのではなく、あくまで種を蒔き続ける一生であれ」

と言われた。
僕が生まれる遥か昔から、今に至るまで、師匠が弟子に送り続けてきた言葉である。

先輩方が血で滲む拳を握りしめ、数十年にも及ぶ身を切る戦いにより切り拓いてきた、偉大な陣列が、世界中の国と地域に、堂々と展開されている。

この歴史において、自分はいわば、大河に放たれたばかりの稚魚である。
地道で血が滲む戦いを、生涯自分もやりきろう!

断じて自分に負けてはならない。
どこであっても、どんな自分であっても希望を見出そう!

師匠にお応えし、必ず世界広布のお役に立てる人材に成長しよう!

 

なみだが

恩返しをせねばならない人に、なぜ仇で返してしまう自分なのか

 

この人がいなければ自分はなかったんじゃないのか

 

なんでこんな思いをせねばならないのか

 

そのかけがえのない先輩からもらった指導

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生命に潜む不幸の一凶を断つ精神の格闘
2006-02-04 16:28:22 | 小説「新・人間革命」
伸一は、新しき創価の時代を開くために、青年たちが一日も早く、学会のいっさいの責任を担い立つことを願っていた。総本山にあっても、彼は青年たちと語る機会をもち、生命を削る思いで育成にあたった。その懇談の折、水戸の女子部のリーダーが、思い詰めた顔で、伸一に言った。右足の不自由な中川正子という女性であった。

「先生、私は、どうしても、ほかの人のようには活動することができません。自分なりに精いっぱいやって来ましたが、思うような成果を収めることもできませんでした。やはり、私が支部の中心となって活動するのは、無理ではないかと思います……」

彼女は三歳の時に丹毒に罹り、右足を膝から切断していた。伸一は前年の九月、水戸支部の誕生にあたって、その中川を女子部の中心者に任命した。中川に一途な信心の姿勢を感じたからである。また、彼女には妹がいて、何かにつけ、よき補佐役として応援してくれていることも考慮してのことであった。人事の面接の際、伸一は、こう指導した。

「体が不自由だからといって、決して退いてはいけない。勝利の力は決定した一念にある。また、知恵を働かせることです。妹さんにも応援してもらい、姉妹で力を合わせ、車の両輪のように頑張ることです」

それから三カ月余が過ぎていた。足の不自由な中川にとって、女子部の中心幹部として活動することが、いかに大変かを、伸一は十分に承知していた。彼は、中川を称え、庇い、休ませてやりたいと思ったが、あえて厳しい口調で言った。

「それでは、まるで任命した方が悪いみたいではないか! 女子部の幹部として、あまりにも情けない。私はそんな弱虫は嫌いだ!」こう言ったきり、伸一は何も答えず、次の質問に移った。彼女は呆然としていた。中川にしてみれば、悩み抜いた末の相談だった。メンバーの家庭指導にしても、ほかの幹部は一日に何軒も回っているのに、彼女の場合は、歩くのに時間がかかり、一、二軒が精いっぱいだった。そんな自分が女子部のリーダーでよいのかという疑問に、彼女はさいなまれ続けてきた。

また、女子部員の折伏の応援に出掛けても、不自由な足に、無遠慮な冷たい視線を浴びせられることが少なくなかった。彼女は、いつも、そのまなざしに、蔑みの色を感じとった。そして、自分が中心者でいることによって、学会に対する周囲の評価を、低いものにしているように思えてならなかったのである。

だが、伸一の指導は、意外なほど厳しかった。中川は、自分の考えの、どこが間違っているのかわからなかった。ただ「弱虫」という言葉だけが鋭く突き刺さり、いつまでも頭の中にこだましていた。

伸一は、彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。しかし、単なる感傷や同情は、彼女にとって、なんのプラスにもならないことを、彼は知り抜いていた。中川に必要なものは、人間としての強さである。彼女は、これからも、体が不自由であることで、差別や偏見にさらされることもあるだろう。現実は決して甘いものではない。

そのたびごとに、自らが傷つき、卑屈になってしまえば、人生の勝利はない。その自分の生命を磨き、強め、弱さを克服していくのが信仰である。仏法は平等だ。体が不自由であっても、人間として無限の輝きを放ち、最高の幸福境涯を開くことができる。それを実証するための彼女の戦いであるはずだ。

それゆえに伸一は、中川が、何があっても負けない強さを身につけるために、あえて厳しく訓練しようとしていたのである。伸一の鍛錬とは、その人の力を引き出すとともに、それぞれの生命に潜む不幸の一凶″を断つ、精神の格闘にほかならなかった。

彼は、懇談会が終了した後も、中川のことを考え続けた。伸一は、彼女ならばあの指導の意味を理解し、必ず、新しい挑戦を開始するだろうと信じていた。彼の厳しさは、信頼に裏打ちされていたのである。

青年たちは、会長山本伸一を、仏法と人生の師として慕い、集って来ている。ゆえに、伸一は、皆の生命を錬磨し、崩れざる幸福境涯へと導くために、時として厳しい指導もした。それは、一念を凝縮して相手のことを考えに考えた末の、厳愛であった。言葉が厳しければ厳しいほど、彼の心には涙があふれた。

青年たちも、それをよく知っていた。だから、どんなに叱られても、彼の指導を全身で受け止め、食らいつくようにして、伸一にぶつかってきた。それが師弟という信頼の絆に結ばれた世界の強さでもある。

この会合が終わると、伸一は、茨城を担当してきた理事の鈴本実に語った。「私は、今日、あの女子部の幹部を叱ったが、彼女は、決して弱虫なんかじゃない。本当によくやっている。もう一歩、自分の殻を破れば、幸福の大道が開かれる。今は悲しみでいっぱいだろうが、やがて新たな気持ちで、地元に帰って、きっと頑張るはずだ。彼女は、誰よりも宿命と戦い、苦労を重ねてきている。それだけに人の苦しみがよくわかる、立派なリーダーになるだろう。大切な宝だ。君からも、よく激励してやってほしい」

一方、中川正子は、宿坊に帰ると、泣きながら唱題した。すると、人事面接の折に、山本会長から、「決して退いてはいけない」と言われながら、役職を辞めたいなどと考えた自分の惰弱さに気づいた。「私は、なんて弱虫なんだろう。自分に負けて、卑屈になっていた。先生はそれを見破られ、弱い心を打ち破ってくださった。……でも、先生は、怒っていらっしゃるにちがいない″

そう思うと、いたたまれない気持ちになった。そこに、理事の鈴本がやって来た。彼は励ましの言葉をかけながら、伸一が語っていたことを伝えた。

「先生は、あなたのことを?弱虫ではない。きっと頑張るはずだ″と期待されています。あなたの奮起を促そうとして、先生は、あえて、あのような指導をされたんです」鈴本の話に、中川は、暗闇に、光が差し込む思いがした。彼女の顔に笑みが広がったが、その目には、また、大粒の涙があふれた。清らかな歓喜と誓いの涙であった。この日から、中川は感傷の淵から、決然と立ち上がった。

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自省しようとする自分と、嘆き続けようとする自分との葛藤

 

悔し涙しながら帰る28の冬